六波羅蜜寺 日本
サワディーカー。
@yayoiです。
2020年が明けた時は想像もしなかった
Covid-19のパンデミックにより、
バンコクは3月中旬から大部分の店や
公共の場所が臨時休業となり、私も
お寺巡りを一時中止し、家にこもっています。
家では、今まで訪れたお寺の写真整理をしたり、
なかなか手がつかなかったことを
していますが、そのうちの一つが
日本から買って持ってきていた本。
仏像切り絵をすることです。
3作目に何を切り絵しようかと
パラパラ本をめくっていたところ、
目に留まったのが、六波羅蜜寺の
空也上人です。
空也上人とは...?
仏像の切り絵ブックでみた空也上人のお寺、
六波羅蜜寺は一度訪れたことがあったと思い、
お寺でいただいたパンフレットを探して
見ていたら、このお寺の成り立ちが
今のパンデミックと共通するものがあったので、
記事を書いてみることにしました。
いただいたお寺のパンフレットです。
関係がありそうなのは、お寺の歴史です。
この六波羅蜜寺は951年に空也上人によって
開かれたお寺です。
平安中期に悪疫退散のために、
上人自ら十一面観世音菩薩像を
刻み、安置したのが起源です。
空也上人は、この観音像を車に安置して
市中をまわり、自ら献じたお茶を病者に授け、
念仏を唱えて病魔を鎮めたそうです。
今の世の中と同じように
病魔と戦った歴史があります。
右側が空也上人です。
上人(しょうにん)とは、優れた人、
徳の高い人を意味し、高僧や修行の進んだ聖者の
尊称として用いられるのが本来の用法ですが、
浄土宗や日蓮宗などでは僧侶の敬称として
使われています。
そして、そこに記されているのですが
空也上人が刻んだ十一面観世音菩薩像は
このお寺の御本尊となっていて、
国賓の秘仏として、12年に
一回、御開帳があるようです。
住宅街の中の小さな路地沿いにお寺があります。
右端の石には
西国第十七番六波羅蜜寺と刻まれています。
西国(さいこく)三十三か所という、
近畿、岐阜の観音巡礼の霊所があり、
そのうちの一つになっているお寺です。
左手側にお寺が見えます。
お寺の門が見えてきました。
御本堂の正面です。
ここを通り過ぎてもう少し行くと
右側にこのお寺の案内があり、
左側に宝物館の拝観料を納める
ところがあります。
御本堂縁側から宝物館へ!
ここから入ります。
ここに十一面観音像が
祀られています。
御本堂の入り口です。
ズームして撮りました。
御本堂の前にいた“なで牛”。
御本堂の境内の縁側から奥の宝物館に
行くことができ、その中は撮影できませんが、
運慶作とされる地蔵菩薩をはじめ、たくさんの
重要文化財となっている木像が祀られています。
パンフレットより。
六波羅蜜とは...?
このお寺の名称、六波羅蜜ですが、
創建当時は西光寺と称したお寺でしたが、
後に弟子が六波羅蜜寺と改名したそうです。
その六波羅蜜とは大乗仏教において、
菩薩に課せられた6種類の実践すべき修行で、
波羅蜜とは“完全、究極的な修行”という意味。
悟りの世界にいたることです。
つまりこの世に生かされたまま、
悟りの世界にいたるための
6つの行うべき修行がなにかというと...
布施、持戒、忍辱(にんにく)
(これらは、見返りを求めず、戒律を守り
あらゆる苦難を正しく認め、
それに耐えること。)
精進(努力)
禅定(ぜんじょう)
(精神統一して自分自身を見つめる)
智慧
(真理を見極め、悟りを完成させるもの)
これらの修行に対する姿勢…
今のパンデミックの時に
私達一人ひとりがどうしたらいいのかを
考えさせられる気がします。
私が切り絵した絵です。
空也上人が左手に持っているのは鹿の杖。
杖をつきながら「南無阿弥陀仏」と唱えると
一音一音が阿弥陀仏となって現れたと
いわれ、その伝承を表現した像です。
実物は117.6cmで、鎌倉時代に
作られたものだそうです。
< 六波羅蜜寺 >
正式名称 六波羅蜜寺
(ろくはらみつじ)
所在地 京都府京都市東山区 大和大路上ル東
参考図書
『仏像の切り絵ブック』(永岡書店)
『岩波仏教辞典』(岩波書店)
六波羅蜜寺パンフレット
訪れたのは、2017年12月です。
その時はまだこんなブログを始めるとは
考えてもいなかったので、
写真が少ないですが...
お読みいただきありがとうございました。
@yayoi