ワット・クー ノンタブリー県
サワディーカー。
@yayoiです。
10年前にノンタブリー県のタイ料理店に行く
途中、偶然通りかかった際、
美しい寝釈迦仏が祀ってあるときいて
入ったお寺。
タイにとって、大きな洪水の被害があった
あの年のこと。
当時、シンガポール在住だった私は被害が少し
おさまってから、旅行でタイを訪れました。
その時は御本堂を参拝していなかったことと、
当時、他にも建築中の建築物があったことを
思い出し、再訪してみました。
現在のお寺の門と入り口です。
周りはしっかりと囲われています。
そこからのぞいて見たら、仏像が1躰だけ
外壁の脇に祀られていました。
その後ろに見えるのが寝釈迦仏のお堂です。
このお寺は道路から川に向って細長い
敷地の中に建てられています。
お寺の中にあった案内図です。
- すっかり様変わりした寝釈迦仏!
- 船が安置されている理由は...?
- モン族のお寺の歴史は...?!
- 礼拝堂の不思議(1)?
- 礼拝堂の不思議(2)??
- お寺の敷地の中心には立派な僧房!
- 敷地内にある王妃の社(やしろ)!
- タイの母の日の読経響く王妃のお住まい!
- <ワット・クー>
すっかり様変わりした寝釈迦仏!
2010年10月。
大きな寝釈迦像が祀られていると、
ワクワクしながらお寺に着きました。
バンコクのお寺に安置されている寝釈迦仏とは
お顔がずいぶんと違うなと思ったのが
第一印象です。
人が写っている写真をみるとこの寝釈迦像が
いかに大きいかがわかります。
長さは約43m。
いつ造られたものかはわかりませんが、
お寺ができたころに造られたと
推定されています。
現在の寝釈迦仏のお堂の全景です。
少し近寄って撮りました。
修復されたのは、2532₋2534年
西暦でいうと、1989₋1991年と
書いてあります。
私が訪れた2010年から2020年の間の
修復の記録は残っていない様です。
写真の角度も違いますが、
白と金ではだいぶお顔の雰囲気が違います。
(2010年10月25日撮影)
(2020年8月12日撮影)
寝釈迦仏の後ろ姿です。
(2010年10月25日撮影)
(2020年8月12日撮影)
個人的には以前の白い方がモン族の仏教美術の
特徴を感じますが…
仏教には諸行無常という言葉があるから
(作られたものはすべて瞬時たりとも
同一のままでありえない)
変わっていくものなのですね...
寝釈迦仏の枕には合掌する天人がいました。
船が安置されている理由は...?
2010年のことを今でも覚えているのですが、
寝釈迦仏を見に行って、美しい寝釈迦仏の
お顔に癒され、その後ろにまわってみたら
船が安置してあるのが見えました。
その船を見たとき、なにか胸によぎるものを
感じました。
寝釈迦仏をみられるワクワクと違う
ドキドキです。
ちょっと恐怖を感じたのかもしれません。
そこでなぜ船が祀られていたのか、
バンコクのホテルに戻ってから検索してみたら、
船の事故で亡くなったKingRamaⅤの王妃の
悲しい物語があったことがわかりました。
船のお堂です。
(2010年10月25日撮影)
(2020年8月12日撮影)
たくさんのドレスがありました。
船には三色の布がまかれています。
実はこのお寺の記事は、2015年に1度、
当時の私のブログに投稿したことがあります。
その記事はもうありませんが、
その際、いろいろ検索していたら
当時の船の事故を物語にしたビデオを
youtubeでみつけたのでみてみました。
そのビデオを要約すると、
『事故がおきた当時、モン族がこの付近で
砂をとっていた。
そこで事故が起きたにもかかわらず
当時の王室の法では、一般の人は
王妃には触れてはいけない、
触れたものは死刑という法律があり、
だれも王妃を
助けることはできなかったようである。
王妃の名前はスナンタクマリーラット王妃。
亡くなった時は19才。
泳ぎも船をこぐのもお得意だったようだが、
当時幼い娘と乳母が一緒にいて、
ご自身もご懐妊されていたようで
助かることができなかったという。
KingRamaⅤはこの王妃をとても愛されていて、
この後、事故があったときに王族を
人が助けられるようにと、先の王室の法を
変えられたそうだ。』
そんな内容でした。
だから船を見た時、ドキドキしたのか...
そう思いました。
王室寺院には格付けされていませんが、
王室に関連が深いお寺です。
KingRamaⅤと王妃の像がありました。
向かって左です。
向かって右はKingRamaⅤお一人の像。
先ほどの船のお堂は、敷地内の道路に
近いところにありますが、
敷地内を川に向って奥に進むと
王妃のための神社やバンパイン宮殿のお住まいを
模倣して作られた家が川の近くにあります。
モン族のお寺の歴史は...?!
このお寺は、もとは
ワット・ターソーン(วัดท่าสอน)という名で、
モン族がこの辺りに避難してきたときに
モン族のリーダーであったプラヤ―ジェン
という人が建てたようです。
トンブリ―に都があったころのことです。
お寺は、チャオプラヤー川の付近にあり、
KingRamaⅤの王妃がアユタヤ―に
向っていたときに、その船が事故で
チャオプラヤー川に沈み、ご遺体を
ここに一時的に安置したことから、
ワット・クー(วัดกู้)と呼ばれることに
なりました。
クー(กู้)とは、引き揚げるという意味。
付近の人からはプラ・ナーンルワロム
(พระนางเรือล่ม)
”沈んだ船の王妃”という意味ですが、
そのようにも呼ばれています。
今もなお、船を祀り、毎年5/31に
供養をしているとのことです。
地図にはありませんが、仏塔と観音像が
あります。
また観音像の前には牛がいました。
礼拝堂の不思議(1)?
不思議なことに、地図には
礼拝堂(ウィハーンวิหาร)と
なっていますが、なぜなのか
お寺の中にあった案内によると、
御本堂(布薩堂、ウボーソットอุโบสถ)と
なっているお堂があります。
それがこちらの建物です。
実際には結界があるので、御本堂(布薩堂)
だと思います。結界です。
この下の部分を帆船のようにそらした
ところに特徴があります。
アユタヤ後期の特徴だそうです。
そして、お堂の前には四角形の柱が3本。
雨水や日よけのための屋根があります。
こちらのお堂は外側だけ
修復されているようです。
2010年に訪れた時に撮った写真を見ると
仏塔の後ろにお堂があるのですが、
今回の参拝でこのような建物は
みかけませんでした。
でも写真では後ろの建物の周りには
結界らしきものは見えません。
今回訪れた時、別の角度から撮った
仏塔と布薩堂(御本堂)。
布薩堂は周りだけはとてもきれいなので
修復された、つまり上の写真と
同じお堂だと考えられます。
お堂の入り口から中を撮りました。
御本尊です。
寝釈迦仏のお堂が窓から見えます。
中はほとんど修復されていないのか、
古い壁画が大部分残っています。
先ほどの案内板によれば
壁画はブッダの過去世の物語、ブッダの一生、
モン族の戦争の様子や仏塔が描かれている
ということですが…
仏塔が見えました。
この写真の上の方に見えるのがモン族の
戦争の様子に見えます。
馬に乗ったひとがいます。
拡大してみました。
ブッダの後ろの扉の上にもモン族が
描かれているように見えます。
拡大してみました。
御本尊がみていらっしゃる部分の壁画です。
礼拝堂の不思議(2)??
御本堂の前、門から入ってすぐの所には
新しい白いお堂があります。
正面から撮りました。
階段を上がると小さな仏像が祀られています。
ルワンポーサムレット(หลวงพ่อสำเร็จ)と
書かれています。
小さなブッダを前に左手奥にお堂への入り口が
あります。
入口を入るとすぐ右手にブッダが
祀られています。
中に入って後方へ移動して撮りました。
ブッダに近寄って撮りました。
外にあった小さな仏像とよく似ています。
あまりみたことのないちょっとかわった
台座に座っていらっしゃいます。
先ほどの外に祀られた仏像ですが、
下の写真、黒い表示板と小さな仏像の
台座部分には名前が書いてありましたが、
大きな仏像には名前が書かれていませんでした。
小さな仏像に模してお堂の大きさに見合う
ブッダを造ったのでしょうか...?
名前がある仏像はいわれがあると思うのですが、
ケースなどにはいっていることもなく、
ただ外に置かれているという感じです。
ネットで検索もしてみましたがでてきません。
ちょっと疑問です。礼拝堂の不思議(2)は
答えがでません。
お堂にはたくさんいすや座椅子が並べられて
いました。
そこで礼拝堂の不思議(1)に関しては
結界が置かれている本来の布薩堂は
小さいので、人が集まる説法や儀式は
この新しいお堂でしているのだと
思われます。そこで案内地図上では
この新しいお堂を
ウボーソット(布薩堂)としているのだと
思いました。
お寺の敷地の中心には立派な僧房!
お寺の敷地の中で最も大きく目をひく
建物は、僧房です。
左側の赤い屋根の建物が
ご住職の僧舎で、
大きな木で隠れているところが僧房。
ご住職の僧舎を前から撮りました。
2階部分には、仏像が外に向かって
祀られています。
そしてこちらが僧房。
僧房を前から撮りました。
逆の角度から撮りました。
横のちょっとだけ赤い屋根が見える建物は
学校です。
こちらは10年前に訪れた時に学校を前に
僧房を背景に車の中から撮った写真です。
まだ骨組みだけでした。
1階には僧侶のために在家信者が食事を
準備したりする場所がありました。
階段を上がって行くと僧房になっている様です。
2階部分を外から撮りました。
敷地内にある王妃の社(やしろ)!
門を背に、僧舎を通り過ぎ、
川の方に進むと学校や博物館と
称される建物が並びます。
学校です。
博物館です。
私が訪れた日はどちらも閉まっている
ようでしたが、
博物館の裏手にちょっと目を引くものが…
寄って行くと、ガルーダでした。
その隣が、地図上では、ศาลาบำเพ็ญกุศล
(サーラーバムペンクソン
善行を積むための場)となっていますが、
船の事故で亡くなった王妃のための社です。
その入り口です。祈っている方が
他のお堂よりもたくさんいらっしゃいました。
KingRamaⅤと王妃の像と写真や絵が
祀られています。
沈んだ船の王妃のために唱えるお経も
書かれています。
タイの母の日の読経響く王妃のお住まい!
王妃のやしろの隣には、火葬殿などがあり、
その先の方に白い家が見えてきます。
それが、バンパイン宮殿の中にあった王妃の
お住まいを模倣して作られたという家です。
入ると左手側にやはりKingRamaⅤと
王妃の像があります。
家の裏手が川なので、まわってみました。
つきあたりには
船着場の休憩所を作っているようです。
ちょうど母の日で読経が行われていて、
たくさんの人がいました。
船着場まで人がぎっしり。
読経の声が響いていました。
川が満ちてくる時間になるとお堂は川の中に
浮いたようにみえて、よりきれいだと
思います。
読経の声を背に、門の方へ戻って行き、
今回の参拝は終わりです。
<ワット・クー>
正式名称 วัดกู้
所在地 57 หมู่ที่ 5 ซอย สุขาประชาสรรค์ 2 ตำบลบางพูด
อำเภอปากเกร็ด นนทบุรี 11120
57 Muuthii 5 Sukkhaprachasan 2
Bang Phut Sub-district
Pak Kret District Nonthaburi 11120
数年前に調べたことなので、
今回検索しなおしましたが
内容は大きく変わっていません。
お寺にあったパンフレットなどを参考に
書きました。
お読みいただきありがとうございました。
@yayoi