タイの寺院建築研究 Ⅵ(前編)
サワディーカー。
@yayoiです。
今回のタイの寺院建築研究は “ 結界” に
ついて注目してみたいと思います。
タイの寺院建築研究シリーズの
お寺の名称、お寺の伽藍、お寺の門、
サーラー、お堂に続いて第6回目となります。
ここ1年くらい、お寺に行くと私が
無意識に探すもの…
それは、布薩堂の周囲に置かれる
結界石と言われるものです。
日本のお寺にはあまり行っていませんが、
日本のお寺で結界石なるものを見かけた
記憶はなく、タイ以外の東南アジアの国々のお寺…
といっても隣国ミャンマーのお寺ぐらいですが、
やはり見かけた記憶がありません。
それで、タイのお寺の特徴の一つとも
いえるであろう結界石は私にとって
とても興味深いものです。
下の写真はバンコクのセントラルワールドと
サヤームパラゴンの間にある
ワット・パトゥムワンの布薩堂です。
このお堂の周囲に、
同じ形の石でできたものが見えると
思いますが、それが結界石です。
結界とは
タイで結界はシーマー(สีมา)または
セーマー(เสมา)と呼ばれ、
これらの意味をタイ語の辞書で調べてみると
区域、地域、境界を表わすとともに、
僧が仏事を行う限定地域を
表わす言葉であることがわかります。
そして結界石は、タイ語では
バイセーマー(ใบเสมา)と
いいます。
一方、日本語で “結界” とはどのように
とらえられているのか、
岩波仏教辞典を開くと、
「教団の僧尼の秩序や聖性を維持するため、
ある一定の区域を限ること、その標識として
石や木などが使われ、石の場合は結界石という」
とあり、そこに記載されている結界には
3種類あり、その中でタイの布薩堂の周囲に
設置されている結界は、
受戒や布薩などを行うための
摂僧界(しょうそうかい)と
呼ばれる結界に該当するようです。
また、こんなことも書かれています。
「密教の修行道場に魔障が入らないよう
特別の修法によって結界する」
この結界もそこには3種類記載があり、
日本でよく知られる比叡山や
高野山は国土結界と呼ばれる
結界だそうです。
タイでは、基本的には布薩堂の下に1つ、
お堂の周りに8つの結界が設置されていて、
山全体が国土結界のように
なっている例は知りませんが、
いくつかのお寺は、結界が
寺院の塀に組み込まれていて、お寺全体に
結界がはられているお寺もあります。
タイの結界の歴史
歴史などという大げさなものではありませんが、
タイの地では、ドヴァラヴァティー時代から
お寺に結界石を設置していたようです。
タイの地では、と書いたのは、
タイのナショナルヒストリーはスコータイ時代から
始まりますが、それ以前にも国家はあったわけで、
その中の一つ、現在のタイの領域で最初に現れた
大国がドヴァーラヴァティーです。
このドヴァーラヴァティー時代とは、
簡単に言えば、タイの今の領土にタイ族が
現れる前の7~11世紀ころにこの領土にあった
モン族の国家で、この国家は、主にタイの中の
5つの地域に広がっていました。
それらはタイ湾西岸と東岸、
チャオプラヤー川流域、
東北タイや北タイです。
そして、この国家では仏教やヒンドゥー教が
信仰されていました。
東北タイでは、ほとんどの集落遺跡から
この時代の結界石が出土し、
ドヴァーラヴァティー文化は
深く根付いていたようです。
以前、訪れた東北地方の博物館に展示されていた
結界石です。
大きいものは、外の展示場に展示されています。
博物館の室内に展示されている結界です。
東北の結界の特徴は、蓮弁状の形をした
板状の結界石です。
結界は台の上に展示されていますが、
身長150㎝の私が横に立ってみました。
私の身長と大差ない大きさであることが
わかります。
もともとはこのように石の大きさが
大きかったのですが、少しずつ小さくなり、
現在に至っているようです。
アムナートジャルーン県のお寺
ワット・サムラーン二ウェートでは
こんな小さな結界を見かけました。
お堂は新しいですが、結界は古いもののように
見えます。
ウボンラーチャタニー県のお寺
ワット・トゥンシームアンですが、
200年くらい前に建てられたというお寺で、
お堂の周囲に結界石がないので
お坊さんにお尋ねしたら、
布薩堂周りの壁の中に結界があると
おっしゃいました。
同じくウボン県の
ワット・プラタートノーンブアなどは、
1955年に建てられたお寺だからなのか、
菩提樹の葉の形の結界がありました。
ちょうど布薩堂の前に落ちていた菩提樹の葉。
結界の形はこの葉の様でしょうか。
また、この地域で目にしたのは、
結界の建て方がこうなのか、
まだ建てていないのかは
わかりませんが、球型のもの。
スコータイには15年くらい行っていないので、
また訪れたら観察して、
後々この記事を更新するとして、
代わりに同じころに存在していた王国として
ラーンナー王国があるということで、
チェンマイのお寺の結界を探してみました。
ところが、チェンマイを訪れた当時の私は
まだ結界に注目していなかったせいか、
結界の写真がなく、撮った写真を見返して
みましたが、お堂の周りに結界らしきものが
見えません。
唯一、このワット・プラシンのお堂の横に見える
棒杭状のものが結界にも見えます。
(ちょうどthainootera.netの文字の上あたりに
いくつか見えるのが杭のようです)
次の時代、アユタヤのお寺ですが、
掃除などの管理はされていますが、
お寺跡であったり、僧侶がいらっしゃらないため
廃寺となっている、一般的に ”遺跡” と
呼ばれているお寺の結界をみてみます。
アユタヤのワット・プラシーサームペットでは
こんな結界がありました。
ワット・ロカヤスタでも
大きな寝釈迦仏の後ろに布薩堂跡と
結界をみることができます。
また、トンブリーにある
ワット・プーマリンラーチャパクシーは、
お寺がいつ建てられたものかを示す
明らかなものはないようですが、
KingRamaⅥの時代に
雨安居の時に僧侶がお一人だったため、
この近くにあるワット・ドゥシッダラームに
併合され、今では廃寺となっています。
ここにはお堂の周りに結界の跡が残っていました。
そして現在、どこのお寺でもよく見かける
一般的な結界石は下の様なものです。
タイのお寺ができるまで
タイのお寺はワットと呼ばれていますが、
たまに、見かけはお寺の様に見えますが、
お寺になる前のサムナック・ソン
(สำนักสงฆ์)という場所があります。
直訳してしまえば、僧の居場所ともいう
ここは、まだ布薩堂がないので、
お坊さんはいるけれど、ワット(お寺)としては
認可されていないところです。
タイでは、ワットと名乗ってお寺として
正式に認可されるには、その場所が
「王室が布薩堂を建てるために
僧侶に与えた特別な土地(区域)」
でなくてはならない訳で、
一般のところとはっきり区別をする。
これをウィスンカーマシーマー
(วิสุงคามสีมา)というそうです。
そして、その内側に僧侶が仏事をするための
建物を建てるという規定があるそうです。
その建物とは、ウボーソット(อุโบสถ)
またはボート(โบสถ)、一級王室寺院なら
プラ・ウボーソット(พระอุโบสถ)と
言われる建物で、
このブログでは布薩堂と訳しています。
布薩堂で僧侶が行う仏事とは、例えば、
得度する、僧衣を受け取るなどがありますが、
ブッダは弟子たちに、僧は月に2回は
パティモッカ(訓戒)を
唱えることを決めたので、
それらの目的のために、境界を定めて、
布薩堂を特定の場所とし、その境界の目印として
結界石を置くのです。
このように王室のウィスンカーマシーマーを
受けたお寺で、規律に沿ってシーマーを結ぶと
正式にお寺になるので、
これらが受けられていない場合は
先ほどのサムナック・ソンとなる訳です。
サムナック・ソンを2か所載せてみます。
サムナックソン・ワンタオラーン
サラブリー県にあるサムナック・ソンです。
入り口です。
白いお堂と中の様子です。
仏殿と中の様子です。
仏殿の外には、まだ白いガネーシャ。
造りかけの仏頭。
バンコクから遠いので定点観測は難しいですが、
お寺になるころに再訪したいと思います。
サムナックソン・カウプラクルー
チョンブリー県にあるサムナック・ソンです。
ここを入って行きます。
入って右手側に見えてくるブッダの美しい
後ろ姿です。
ナーガの階段を上がって行きます。
先に上がって行った友人の天国に着いた~という
声が聞こえ、私も後に続きます。
曇りの日に行って、雲が多いからか、
本当に天界に着いたようです。
こちら側はお天気がいい日は
水晶玉がきれいに見えそうです。
バンコクから近い天界をまた訪れたいと
思います。
続きます。
お読みいただきありがとうございました。
@yayoi