ワット・プラシーサンペット アユタヤー
サワディーカー。
Luna(流転那)です。
タイでは、お寺(タイ語でワットวัด)とは呼ぶものの
現在は僧侶が在することなく、実際に儀式に使っている
布薩堂もない、というお寺があります。
寺院遺跡や廃寺と呼ばれるものがそれらに
含まれると思います。
日本ならば、〇〇寺跡、〇〇遺跡と、跡をつけて
別に分けているのではないかと思います。
このブログはタイのお寺に特化したブログで、
私が実際に参拝して、記事を書いた順に番号を
つけています。
今回参拝したのは、遺跡となっているので、
そこにいれるかどうか考えたのですが、
結局はいれることにして、代わりに
「タイの寺院遺跡」というカテゴリーを
作ることにしました。
- タイの寺院遺跡とは
- お寺の位置と建てられた背景
- ワット・プラシーサンペットの歩き方
- 仏塔の東側を歩き始める
- 3つの仏塔東側の遺跡群の中の南側
- プラ・シーサンペット仏像とお堂
- 3つの仏塔東側の遺跡群の西~北
- 旧王宮の遺構と仏塔後ろ側を歩く
- <ワット・プラシーサンペット>
タイの寺院遺跡とは
タイ各地にあるお寺は、
お寺の現在の役割から、
大きく3つに分けることができます。
1つは、その場所が「王室が布薩堂を建てるために
僧侶に与えた特別な土地(区域)」
として、認可されているところで、
その区域の内側に、僧侶が得度式など
仏事をするための布薩堂と呼ばれる建物を
建てるという規定があり、それに従って
寺院で、僧侶が住んでいるお寺です。
もう1つは一般的にガイドブックなどで
いわゆる “遺跡“ と呼んでいるお寺。
掃除などの管理はされていますが、お寺跡であったり
僧侶がいらっしゃらないため廃寺となっているお寺
です。
残る1つはアユタヤー時代からのお堂や仏塔など、
一部を遺跡として残しつつ、同じ敷地内に、
修復を施した、または新たに建てたお堂などがあり、
僧侶が在していて、布薩堂で仏事をすることができる、
寺院と遺跡の両方が混在したお寺です。
今回のワット・プラシーサンペットは、
2番目の遺跡になるので、
このブログでは、「タイの寺院遺跡」
のカテゴリーに分類します。
このワット・プラシーサンペットは
遺跡とはいうものの
きれいに並んだ3つの仏塔が目を惹くお寺です。
お寺の位置と建てられた背景
前回、私のブログのサブページに
アユタヤーの「市の柱」についての
記事を書きました。
thai-yayoi-buddhism.hateblo.jp
その「市の柱」は
川で囲まれた島の様なアユタヤーの
中間あたりにあります。
このワット・プラシーサンペットは
その「市の柱」からすぐ北側にあります。
お寺があるこの場所は、もともとアユタヤー王朝の
1代目の王であるラーマティボディⅠこと
ウートーン王の王宮が建てられていたところです。
ワット・プラシーサンペット横に建てられている
ウートーン王の像です。
ここが今回のお寺歩きの出発点にもなります。
その場所に1448年に即位した9代目の
ボロマトライローカナート王が
お寺を建てるために土地を譲り、
王宮を寺院の北側のロッブリー川に
隣接する地区に移しました。
王宮からみてロッブリー川対岸には、
その名を “王室火葬場前” という意味の
お寺、ワット・ナープラメーンが
あります。
11代目の王であるラーマティボディⅡが
1504年に建てたお寺で、王の火葬を
捧げたりしたお寺です。
以前、このお寺を参拝して、
私が書いた記事です。
王が宮殿を移し、神聖な場所として
もと宮殿の敷地に建てたお寺は、
ワット・プラシーサンペットと
名づけられました。
プラ(พระ)はブッダや仏像、
王室関連の人や位などにつける接頭語で、
シー(ศรี)は
吉祥、光明、麗しいという意味をもつ
言葉です。
サンペット(สรรเพชญ)とは、
全てを知る者、ブッダを意味します。
ワット・プラシーサンペットの歩き方
お寺は、横に細長い形をしていて塀に
囲まれています。
お寺の西側から、敷地内を撮りました。
敷地の外になりますが、すぐ横に
プラモンコンポピットという大仏が
安置されているウィハーン・プラモンコンポピット
というお堂もあります。
今回は記事を前編後編に分け、
前編では、ワット・プラシーサンペットの
3つの仏塔の東側にある遺跡となった、
寺院建築の名残をみながら、
そのまま3つの仏塔の後ろ側を
歩きます。
後編では、ワット・プラシーサンペットの
西側を歩いてから、このお寺のハイライトである
3つの仏塔を正面から参拝します。
参拝後は壁の外にでて外壁を眺め、
すぐ隣にあるプラモンコンポピットのお堂を参拝します。
暑いタイで遺跡に行くと、体力的に
観光スポット的なところを見るのが
精一杯なのですが、
今回はそのハイライトは後編に残しました。
なかなか見どころ多いお寺なので
少しお付き合いいただけたらと思います。
仏塔の東側を歩き始める
前編で歩く仏塔の東側と後ろ側の
部分のマップです。
まずは①から寺院の敷地内に入ります。
入り口から入り、
左右に仏塔を眺めながら前に進むと
目の前には3つの仏塔が広がります。
仏塔を正面に見て、右の方向へ向かいます。
3つの仏塔はバラバラに建っているように
見えますが、1つの長方形の台座の上に
のっているかのように建てられていて、
その長方形の四隅にも仏塔が
建てられています。
下の写真は
3つの仏塔のうち東側にある仏塔と
その四隅の仏塔の1つ(東南角)です。
この地点が歩き始めの②になります。
3つの仏塔東側の遺跡群の中の南側
仏塔東側には、現在はほとんど柱や
壁の一部を残すばかりになっていますが、
もともとたくさんの建造物があったようです。
先ほどの②から出発したら、
番号の順に歩いて行きます。
③プラ・パーレーライ仏殿
パーレーライというのは、
仏像の形態の1つですが、ここでは
ここにあった建物の名称です。
④南側仏塔・お堂跡
出入口を入って、すぐ右側に向かうと
外壁に沿って並んで建っている
仏塔やお堂跡です。
これらは3つの仏塔の南側に位置しています。
お堂跡の中には仏像が残っている
ところもあります。
⑤本堂
プラ・パーレーライ仏殿のすぐ東側に
あるお堂跡です。
地図上では本堂になっていますが、
お堂の周りに結界があるので
こちらが布薩堂ではないかと思います。
この様な結界が周囲にあります。
プラ・シーサンペット仏像とお堂
プラ・シーサンペット本堂(⑥)です。
このお堂は、1499年に建てられました。
翌年にこのお堂に
プラ・シーサンペットという名前の
仏像が造られ、ご本尊として安置されました。
しかし、アユタヤーの滅亡期に当時の
ビルマが、仏像から金をはがすために
火をつけ、仏像は破損したそうです。
次のラッタナコーシン朝になり、
KingramaⅠはそのご本尊の
破損した一部をバンコクに招来し
ワット・ポー敷地内に
ある仏塔の中に安置しました。
ワット・ポー内のその仏塔は
プラ・マハージェーディー
シーサンペッダーヤーン
(พระมหาเจดีย์ศรีสรรเพชดาญาณ)と
名付けられています。
バンコクのワット・ポーの
敷地内にある
ラッタナコーシン朝の
四人の王の仏塔です。
この仏塔がKingRamaⅠの仏塔
プラ・マハージェーディー
シーサンペッダ―ヤーンです。
下の方は薄いピンク色にも見えますが、
緑のタイルの仏塔です。
プラ・シーサンペット仏像の一部は
この中に安置されているようです。
このお寺の歩き方について、
私が以前書いた記事です。
3つの仏塔東側の遺跡群の西~北
⑥のプラ・シーサンペット本堂を中心に置くと
③から⑤はプラ・シーサンペット本堂の
南側にありました。
次の⑦から残りは
プラ・シーサンペット本堂や
3つの仏塔の位置からみると、
西~北側にあります。
➆鐘楼と⑧布薩堂
プラ・シーサンペット本堂のすぐ
東側には鐘楼があります。
(写真が撮れていなくて、私の写真の中では
この木の陰に少し写っているだけでした。)
次は、地図では布薩堂(⑧)になっていますが、
ソンタム王の時代に建てられたという
ジョームトーン宮殿跡です。
宮殿跡というか玉座の間です。
王が説教をきくための場所だったようです。
角度を変えて撮りました。
⑨北東の隅の仏塔と⑩北側仏塔・お堂跡
布薩堂の東側が敷地の1番奥に
なります。
北東の隅にある仏塔です。
仏塔前にあるお堂跡です。
仏塔と並んで、敷地の北側に
建っている仏塔やお堂跡を、
敷地の外から撮ったものです。
⑪プラ・ローカナート仏殿
北側の方にあるお堂跡で、
プラ・ローカナート仏殿です。
ほとんど柱しか残っていません。
3つの仏塔の東側にあるお堂跡は
ここまでです。
旧王宮の遺構と仏塔後ろ側を歩く
東側のお堂跡を1周歩き終えると
3つの仏塔の裏側辺りにもどる
形になります。
それはちょうど出発した
②の北側にあたり、入り口からだと
3つの仏塔で遮られ見えない区域です。
ちょうど後ろの壁にあるのが、
旧王宮の遺構(⑫)です。
この部分を壁の外から撮りました。
そのまま3つの仏塔の近くに寄り、
仏塔の後ろ側(⑬)を歩きます。
3つの仏塔の裏側、
その四隅の仏塔の1つ(東北角)です。
そこから仏塔裏側を左手に眺めながら
西の方角へと進みます。
敷地の最も西側の様子が下の写真です。
敷地の西側に移動したところで
残りは後編に続きます。
<ワット・プラシーサンペット>
正式名称 วัดพระศรีสรรเพชญ
(ワット・プラシーサンペット)
所在地 Tambon Pratuchai,
Phra Nakhon Si Ayutthaya District,
Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000
Thailand
使用している地図は
書籍『アユタヤ』からお借りして
私が手を加えました。
またアユタヤーの国王の代は、本やネット上で
多少違いがあるのですが、今回は
書籍『タイの事典』のものを
採用しました。
お読みいただきありがとうございました。
Luna(流転那)