ワット・プラシーサンペット アユタヤー
サワディーカー。
Luna(流転那)です。
前編では、ワット・プラシーサンペットの敷地内にある
3つの仏塔の東側や後方にある、遺跡となった
寺院建築の名残(③~⑬)をみながら歩きました。
後編では、ワット・プラシーサンペットの
3つの仏塔とその周辺を歩き、敷地外に出て
壁の外から寺院内を眺め、すぐ隣にある
プラモンコンポピットのお堂を参拝します。
3つの仏塔の西側を歩く
前編の最後は、仏塔の裏側かつ
寺院の敷地の西側に着いたところでした。
後編はそこから出発します。
敷地の西北にある仏塔(⑭)と
お堂跡(⑮)です。
3つの仏塔の西側には
十字型の本堂跡(⑯)があります。
その中には仏像などが残っていました。
ここがお堂内で、3つの仏塔の西側の仏塔に
1番近いところです。
3つの仏塔を参拝する
この寺院歩きももう終盤です。
最後はこの寺院の中で
最も目を惹く3つの仏塔(⑰)です。
入り口を入ると、目の前に広がるのは
この3つ並んだ仏塔で、正面から
撮ったものを後編記事の
カバー写真にしました。
(クリックすると、この様式の仏塔について
以前私が書いた記事にリンクします)
こちらは東側から撮りました。
3つの仏塔は1つの台座の上に
のっているように建てられています。
こちらは西側から撮りました。
仏塔を建てたのは、11代目の
ラーマティボディⅡで、
1492年に兄のための中央の仏塔と、
父のための東側(向かって右側)の仏塔の
2基を建てました。
東側の仏塔です。
この仏塔には、9代目のボロマトライローカナート王の
遺骨がおさめられています。
中央の仏塔です。
この仏塔には、10代目のボロマラチャティラートⅢ王の
遺骨がおさめられています。
別角度から撮りました。
西側の仏塔には、後にラーマティボディⅡ王の遺骨を
おさめるために、
12代目のボロマラーチャーティラートⅣ王が
建てました。
別角度から撮りました。
最後にもう1度仏塔を眺めて
敷地内から出ます。
敷地の周りを歩く
ワット・プラシーサンペットは
王宮の名残からか、高低差はあるものの
レンガの壁で囲まれていて、
壁には砦(⑱)があります。
別の角度から撮りました。
この敷地の周辺、
ワット・プラシーサンペットの付近には、
大仏を参拝する人が後をたたない
ウィハーン・プラモンコンポピットという
お堂をはじめ、少し見どころがあります。
設置された場所を忘れてしまいましたが、
この辺りにユネスコの碑も
ありました。
プラモンコンポピットを参拝する
ワット・プラシーサンペットの横にある
ウィハーン・プラモンコンポピット
(⑲)です。
ウィハーン(วิหาร)は仏殿、
お堂などの意味です。
中に祀られている大仏の名前が、
プラモンコンポピットです。
お堂の入り口です。
聖糸の下をくぐって大仏の足元へ。
プラモンコンポピット大仏です。
組んでいる足のひざの間が9.55m、
高さ(台座を含まない)が12.45mの
ブロンズ製の仏像です。
横から撮りました。
元は旧王宮の東側に
祀られていたそうですが、
23代目のソンタム王の時代に
西側に移され、
モンドップ(仏堂)が作られ、
そこに安置されました。
その後、31代目のスア王の治世に
モンドップの頂上と仏像の頭が
落雷によって損傷し、モンドップは
仏殿に建て替えられました。
仏像の修復の完成は、33代目のボロマコート王
の時代の1742~1743年位だそうです。
モンドップ(仏堂)とウィハーン(仏殿)の
違いは、以前書いたこちらの記事を
ご参考いただけるとよいかと思います。
ところが、1767年当時、2度目のアユタヤー滅亡
の時に、火事でその仏殿は再び屋根が焼け、
仏像は頭と右腕が損傷しました。
1920年当時の貴重な写真がお堂内にありました。
アユタヤー王朝の次の王朝である
ラッタナコーシン朝になってから、
KingramaⅤの時代に修復が始まって
この仏殿ができたのは1956年のことです。
KingramaⅤの王子がお出ましになった
時の写真もありました。
2011年の洪水の時の写真もあります。
落雷、火事、洪水にあいながらも
修復され、タイの国とともに
タイの人に祀られている大仏です。
後ろから撮りました。
最後にもう1度合掌して
お堂を出ます。
このお堂を背にして、直進すると
ナレースワン通りの方に出ます。
出発点を目指して歩く
お堂を背に、ナレースワン通りの方へと向かう
道すがら、右手にあるのは
地図上ではワット・チーチアン(⑳)と
書かれているところです。
残っているのは、お寺の一部と推測されている
お堂跡で、ウィハーン・グルップという
のですが、先ほどのプラモンコンポピット大仏を
一時期こちらに移していた時期もあったようです。
ここを右手に見ながら前に進むと、
この通り道と
ナレースワン通りにぶつかる
ところにでます。(㉑)
この前の小さな歩道部分を
シーサンペット通り(㉒)
と呼ぶようです。
ここを前に、右手側に進むと行き止まりで、
そこはちょうど
ワット・プラシーサンペットの
東南角になります。
この辺りはレンガの壁がなく、
寺院内が外からみえます。
この辺りから右側の先の方を見ると、
遠目に像がみえます。
近くに寄ってみます。
ウートーン王の像です。
ウートーン王は、来歴がはっきりしたものは
ないといわれていますが、1351年王が36歳の時に
アユタヤーを作りました。
チャオプラヤー川流域にあった
スパンブリーとロッブリーという2つの
有力なムアン(国)の王女と婚姻関係を持ち、
その2つのムアンの権威を借りて新たなムアンを
作り、その2つの中間点のアヨータヤーの地に
都を置いたのがアユタヤーの始まりです。
今回の出発点に戻ってきました。
お寺歩きの時間に感謝しながら
最後にもう1度ウートーン王を参拝して
今回の参拝は終了です。
<ウィハーン・プラモンコンポピット>
所在地 Naresuan Rd, Pratu Chai Sub-district,
Phra Nakhon Si Ayutthaya District,
Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000 Thailand
今回の記事は、前編、後編とも
書籍『アユタヤ』
書籍『物語 タイの歴史』
及び、お寺の案内表示板などを
参考にして記事を書きました。
お読みいただきありがとうございました。
Luna(流転那)