タイのお寺に魅せられて  ~タイ百寺巡礼ログ~

タイのお寺が好きなLuna(流転那)(旧@yayoi)です。タイで大きく人生が変わりました。タイを起点にアジアのお寺や仏像を研究中!

プレタイ期の仏像をバンコク国立博物館で眺める(前編)

タイの仏像研究 Ⅵ

 

サワディーカー。

Luna(流転那)です。

 

タイのお寺が好きで、

備忘録のようなお寺の巡礼記録以外に、

タイのお寺や仏教に関することを

9回シリーズで観察するという

自由研究のようなことを

やっております。

 

前回はタイの横たわる仏像にフォーカスして、

一般的に寝釈迦仏といっても

9つの形態の違いがあり、

それぞれを眺めてみました。

 

6回目の今回は、タイでは

時代によって仏像の形が違うのか、

どんな特徴があるのかを

バンコク国立博物館に展示されている

仏像を中心に

眺めていこうと思います。

 

上記の地図上で、①~⑤については

過去に記事を書きました。

thai-yayoi-buddhism.hateblo.jp

 

今回の記事内で

撮影場所を表記していない場合は、

バンコク国立博物館の敷地内の

南側にある建物である、

マハースラシンハナート館

(South Wing)(⑥)内にある

仏像で、すべて私が撮影したものです。

 

バンコク国立博物館の外で

撮影した場合のみ、

撮影したお寺や博物館などの場所を

表記しています。

 

 

 

 

タイ人やタイのルーツに思いをはせる

 

タイの仏像を眺める前に

ちょっと知りたいのは、

タイ人とはだれかということと、

今のタイという国は、

いつからがタイ国なのかということです。

 

その昔から今のタイの領域に、

いろいろな民族が存在したという

歴史の流れがある中で、

いわゆる「タイのナショナルヒストリー」

の始まりとも言える時代とは、

タイ人が歴史にはっきりと出現したと

いわれているスコータイ時代です。

ですから、スコータイ時代からが

呼び名は変われどタイ国です。

 

それでは、タイ人とはどんな人達か?

といえば、まず思い浮かぶのは、

現在のタイの領域に住み

タイ語を話す人々だと思いますが、

(移住や結婚で海外在住の方ももちろんいますが)

もう少し意味を広げてみると、

 

(A) 現在のタイの領域外で発生し、

   後の時代にタイの領域に移住してきた人々で

   タイ族(タイ・ガタイ語族)。

 例えば、漢民族の圧迫により

 中国から南下、または西進してきた人々など。

 

(B)タイ周辺諸国にいるタイ族。

 例えば、ラオスの主要民族であるラーオや

 中国雲南省のルーなど。

 

(C)現在のタイの領域に居住して、歴史を

   形成してきた別の民族。

 

上記の中で、現在のタイに住み、

タイ語を話す人々のルーツの

中で、(A)は多いと思われます。

タイ社会においても、タイ人、

中華系タイ人、インド系タイ人などの

呼び方を耳にします。

 

ただ、これからタイの仏像を

時代別に眺めてみようという時に、

前編の今回は、スコータイ時代以前の

プレヒストリーの時代から

進めてみようと思いますが、

その時代の民族は、上記(C)に該当すると

いえるでしょう。

 

タイ族が南下してくる前の、

現在のタイの領域には、モン・クメール族が

居住していたと考えられています。

モン・クメール族の代表的な民族は、

クメール族、ベトナム属、モン族などです。

 

その現在のタイ領域内で最初に現れた大国は、

ドヴァーラヴァティーだと

言われています。

 

これから仏像は、このドヴァーラヴァティー期

から眺めていきますが、その前に

タイで古い出土品を2種類あげてみます。

 

タイで1番古い出土品といわれている

バーン・チィエン彩文土器です。

 

そして、もう1つ古いものに

古代ヒンドゥー彫刻があります。

マレー半島のヒンドゥー彫刻は

古く4C~5C代にさかのぼりますが、

現在のタイの領域内で、

スコータイ王朝成立以前に造られた

遺品ともいえるもので、

ほとんどがヴィシュヌ神だそうです。

 

最古のプラ・ナーラーイ像

(ヴィシュヌ神)といわれているものです。

 

 

ドヴァーラヴァティー王国の仏像

 

ドヴァーラヴァティー王国とは、

7C~11Cにかけて、タイ中部を中心に栄えた

モン族の国家です。

タイ語では、ทวารวดี(タワーラワディー)と

いいます。

その中心は現在のナコンパトム県あたりだという

説が一般的です。

 

ドヴァーラヴァティー期の

仏像は、大きく分けて3つの特徴が

あります。

 

初期のころの特徴です。

頭部に宝珠光がない。

顔はインド美術風。

衣は、左肩の上に重衣は見られない。

立像は、トリパンガ(ตริภังค์)といわれる

三屈法(三曲法)の姿勢。

右手で印を結ぶ。

*三屈法とは、書籍『バンコク国立の至宝』によると

 インド美術における、頭・腰・脚の

 三か所を曲げた形の人体表現です。

 

グプタ美術の影響を受け、

インドのサールナート派の

流れをくんで造られた

与願印を示すブッダの像です。

 

展示場所が移動すると、

光の当たり方によって若干

表情が違って見える気がします。

 

三屈法に見えませんが、

この時代は石仏が一般的である中で

珍しい大きい青銅のブッダ。

 

博物館の外では、

ワット・ベンジャマポピットの回廊の

外の壁(西向き)の中に祀られている

仏像です。

 

後期になってからの特徴です。

頭部の螺髪が大きくなり、ハスの蕾や

擬宝珠の形をした宝珠光がつく場合もある。

顔は扁平。

眉が左右つながり弓状。

目はとび出て、獅子鼻。厚いくちびる。

半跏趺坐。

 

アユタヤーのジャウサームプラヤー博物館の

坐像です。

 

仏倚像(ぶっきぞう)と呼ばれる

椅子に座った仏像もあります。

アユタヤーで出土したものだそうです。

これはかなり巨大で、バンコク国立博物館の

北館の方に置かれています。

 

博物館の外では、

ナコンパトム県の

ワット・プラパトムジェーディーに

祀られている仏倚像です。違う日や

違う角度で撮ったものを集めています。

 

アユタヤーのワット・ナープラメーンの

仏殿内の仏倚像です。

 

ドヴァーラヴァティー王国の

中心は、ナコンパトム県あたりという説が

ある中で、この美術様式のものが

タイ東北部などでも

見つかっているようです。

 

これは、両手で説法印をなして、

忉利天(とうりてん)から下界へと

降りてくる場面を表しています。

 

長い期間栄えたとみなされている

ドヴァーラヴァティー末期の特徴は、

アンコール帝国のクメール美術の影響や

クメール属国のラヴォ(ロッブリー)美術が

混入してきます。

顔は四角ばって顎の真ん中がへこむ。

左肩から幅広の垂布がたれさがり、

台座には蓮弁模様が粗く彫られています。

 

ロッブリー県のプラ・ナーラーイラーチャニウェート

国立博物館の仏像です。

 

 

ドヴァーラヴァティー王国の仏教美術

 

仏像の他に、この時代の特徴的なものというか

象徴的なものに法輪があります。

ナコンパトム県のワット・プラパトムジェーディーの

周辺から多くが発見されたようです。

 

ブッダの説法を転法輪(てんぽうりん)

というのですが、法輪は、ブッダの教えが

車輪のように回って人から人へと

広まることを喩えていると解釈されています。

 

ブッダが初めて説法された場所は                   

サールナート(鹿野苑)というのですが、

宗教者が集まる鹿が放し飼いされている

園林という意味で、鹿は神聖な動物と

みなされていました。

 

鹿を伴っているところからこの法輪は、

初転法輪を示すとされています。

 

次は、浮彫と呼ばれるもので、仏伝の中の

ブッダにまつわる様々な不思議な現象(奇跡)

を表したものがあります。

 

舎衛城の神変図と呼ばれる浮彫は、

上部には、ブッダがご自身の姿を

マンゴーの樹の中に幾体も現したという

マンゴー樹上の双神変が描かれ、

下方には仏倚像の周りを聴衆が

囲んでいる様子が描かれています。

 

博物館の外では、

同じように上方と下方に描かれたものが、

ワット・スタットのブッダの台座に

安置されています。

こちらは、もとは

ワット・プラパトムジェーディーから

出土されたそうです。

 

最後にこの時代の仏教建築としては、

ナコンパトム県出土の仏塔の

上部と思われるものがあります。

 

これは、バンコク国立博物館の

中庭に置かれています。

(黄色い☆の辺り)

 

もう1つは、ナコンパトム県の

ワット・プラパトムジェーディーにある

KingramaⅣによって建てられた

大仏塔の中に納められている仏塔です。

 

納められているので見ることはできませんが、

写真は、現在の大仏塔(左)と

中におさめられている仏塔のレプリカです。

 

続きます。

 

お読みいただきありがとうございました。

Luna(流転那)