ワット・ベンジャマボピット バンコク
サワディーカー。
@yayoiです。
タイの寺院建築に大理石が使われるのは
特に珍しいことではないと思いますが、
このお寺が大理石寺院と呼ばれるのは、
赤い屋根、金の屋根飾りや窓枠が
大理石の白を特に引き立てていて
美しいからかなと、私はもう
5回はここを訪れているのですが、
訪れるたびにいつも思います。
タイのお金に5バーツという
(日本円で19円くらい)
コインがあります。
私がタイに初めて住むことになった
2005年には、まだ御座船の船首部分が
描かれた5バーツも使われていましたが、
最近ではこのワット・ベンジャマボピットが
描かれた5バーツしか見かけない気がします。
写真の上の2枚が、御座船が描かれたコインの裏表
下の2枚が、現在流通している
ワット・ベンジャマボピットが
描かれた5バーツの裏表。
どちらも家にあるコインを
私が撮ったものです。
描かれている国王はどちらも
現在の国王の父君にあたる
KingRamaⅨです。
ちなみにカバー写真は、布薩堂前で
友人に5バーツを持ってもらい、
私が撮影したものです。
ワット・ベンジャマボピットの歩き方
このお寺は敷地が大きいので、
歩き方を考えてみました。
まずはこのお寺を大きく3つのゾーンに
分けました。
上の図は、お寺にあった地図に
私が手を加えたものですが、
基本的に入り口は、門と書いたあたり
ナコンパトム通りの入り口から
入って行きます。
8月に訪れたら、8月14日の王太后の
お誕生日がタイの母の日でもあるので
門の前に写真が飾られていました。
そしてお寺を南北に分けるような形で、
真ん中あたりに運河があります。
前編の今回では、
オレンジ部分①のゾーンでは、
芝生の庭を囲むように僧房や学校や
講堂などの建物がある辺りを歩きます。
基本的に一般の人が入っていける場所では
ないので、ここは運河を渡って、
外から建物を見ながら
ゆっくりと歩きます。
ワット・ベンジャマボピットの歴史
このお寺は、いつ建てられたものかは
わかりませんが、1826年くらいまでは、
田んぼに隣接する庭の先にあったことから、
ワット・レーム(レームは先っぽの意味)
または、あった木の名前から
ワット・サイトーンと呼ばれていました。
KingRamaⅢの時代に、この辺りに
軍の司令部がおかれ、1827年ころ、
この辺りでKingRamaⅡの王子の隊が
ラオスの隊と衝突しました。
戦争が終わって、1828年ころ
王子を含む5人の王族がこのお寺を修復し、
寺の前に5つの仏塔を建てました。
のちにKingRamaⅣが、お寺の名前を
5人の王子の寺を意味する
ワット・ベンジャボピットと名付けました。
1898年、KingRamaⅤは週末を楽しむ
住まいとして、王宮より北にあるこの辺りに
ドゥシット公園を作ろうと計画されました。
1899年にKingRamaⅤがお出ましになった時、
ドゥシット公園を作る場所には
僧侶がたった一人のほぼ荒廃しかけた
お寺があり、もう一つ廃寺となっていた
ワット・ベンジャボピットがありました。
そこで、KingRamaⅤは王家の敷地にあう
美しい特別なお寺を作ろうと
それまでにあったお寺を一旦とりこわし
計画を進めました。
1900年、お寺にお出ましになった
KingRamaⅤは、お寺の名前を
5番目の王の寺を意味する
ワット・ベンジャマボピットと
されました。
KingRamaⅤはこのお寺が完成する前に
崩御されましたが、KingRamaⅥが
完成させました。
KingRamaⅤが崩御された10月23日は
KingRamaⅤ記念日でタイの祝日。
このお寺にはたくさんの人が集まります。
2010年の記念日にタイ人の友人数人とともに、
私が初めてこのお寺を訪れたときの様子です。
屋台もたくさん出ていました。
私は確かはちみつを買って帰った
記憶があります。
運河にかかる橋
ここからは、寺院内を歩きます。
オレンジ部分①を歩くには、運河を渡ります。
運河には赤い小さい橋が3つかかっていますが、
もう一つ、向こう岸にかかってはいない
白い橋があります。
細長い運河です。
運河は外の運河とはつながっていません。
赤い門の下で止まっています。
この橋は、お寺の入り口に1番近いループ橋。
お坊さんたちが渡っている姿を
おみかけすることもあります。
この橋は中央にあるタワイ橋。
お寺の敷地の1番奥にある橋がガー橋。
それぞれの橋のたもとに像が祀られています。
ベンチなども置かれています。
写真に写っているタワイ橋を渡って
向こう側に行きます。
向こう側に着いたら、歩きながら
建物を眺めます。
歩き方を作ってみました。
プラ・ウィハーンソムデットと学校
橋を渡るとすぐ目の前の右側に見える建物が
プラ・ウィハーンソムデットです。
(地図①)
運河の反対側から建物全体の様子を
撮りました。
扉の上の方に仏像が祀られています。
建物は十字型をしていて、その一部が
後ろの建物にくっついています。
横から撮りました。
ちょうどお坊さんが歩いて
いらっしゃいました。
くっついている後ろ側の方の建物です。
この建物を正面に左手側の奥には
学校があります。
(地図②)
下の写真の右側に写っている
うすいクリーム色の建物が学校です。
その左のピンクの建物は
地図に明記されていませんが、
学校内の建物か、僧房の礼拝堂では
ないかと思います。
副王宮から来た鐘と僧房
この建物を正面にみて通路をはさみ右側の
芝生の中に見えるのが鐘楼です。
(地図③)
この鐘楼は大理石でできていて、
副王宮内にあったお寺から持ってきた
鐘を安置しているそうです。
その副王宮内のお寺は、今では学校の敷地内の
礼拝堂となり、通常ははいることができない
ようですが、以前、許可をいただいて
外見だけを撮った写真があります。
そして、敷地の奥には横に広がる
僧房があります。(地図④)
美しいサーラーと講堂
芝生の向こうに白いサーラーが
見えます。(地図⑤)
サーラー・バンナロットパークという
建物です。
そのサーラーと運河の間にある講堂が、
プラティナン・ソンタムです。(地図⑥)
別の角度から撮った建物と破風部分です。
破風には出家したブッダが髪を切る場面が
描かれているようです。
この建物を運河側から撮りました。
こちらの破風に描かれているのは、
出家直前の宮廷の様子でしょうか。
右の方にブッダが出家するときの馬が
描かれているように見えます。
建物二つ続きの講堂と太鼓楼
プラティナン・ソンタムの前には
もう一つの講堂があります。(地図➆)
プラティナン・ソンパヌワックです。
別角度から撮りました。
この建物は、1873年にKingRamaⅤが
出家されていた時のお住まいを
移築したもので、中央にパティオがある
南北二つの僧房からなっています。
鐘楼のある芝生側から撮りました。
運河を背に横から撮りました。
その横に隣接し、運河に近い建物は
太鼓が置かれています。(地図⑧)
この建物はサーラー・シーソムデットと
いいます。
運河の向こう岸から撮ると
太鼓が見えます。
横に細長い太鼓です。
講堂と太鼓楼となっているサーラーを
一緒に撮りました。
ここで、ゾーン①の散策は
終わりです。
運河にかかる橋を
ゾーン②の方に渡ってきました。
そのまま、布薩堂の前まで来て
撮ったゾーン①の様子です。
この後は、青く囲ったゾーン②にある
門から布薩堂前までを眺め、
回廊から布薩堂に入るところまでを
歩く中編へと続きます。
お読みいただきありがとうございました。
@yayoi