タイのお寺に魅せられて  ~タイ百寺巡礼ログ~

タイのお寺が好きなLuna(流転那)(旧@yayoi)です。タイで大きく人生が変わりました。タイを起点にアジアのお寺や仏像を研究中!

タイのお寺の“仏塔”に注目してみる!(後編)

タイの寺院建築研究 Ⅷ

 

サワディーカー。

@yayoiです。

 

今回のタイの寺院建築研究は “ 仏塔 ” に

ついて注目しております。

タイの寺院建築研究シリーズの

お寺の名称、お寺の伽藍、お寺の門、

サーラー、お堂、結界、回廊に続いて

第8回目となります。

 

前編では、仏塔の役割を考え、

タイで最もよく目にする釣鐘型の仏塔

について書いてみました。

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後編の今回は、タイでよく目にする

もう1つの仏塔であるプラーンと呼ばれる

トウモロコシ型の仏塔について、

また時代による仏塔の形の違いについて

書いていきます。

 

 

 

 

クメールの影響を受けたトウモロコシ型の仏塔は、

タイ語ではプラーン(ปรางค์)

または接頭語のプラがついて、

プラ・プラーン(พระปรางค์)と呼ばれています。

 

タイのプラーンがクメールの影響を受けているのは、

過去の歴史の中で、クメール族による

アンコール帝国の政治的支配が西方に広がり、

そのクメール族のタイ国における中心地が、

現在のロッブリーにあったからです。

 

クメール式の建築で、塔堂はクメール語で

プラサートと呼ばれます。

こちらは神殿としての意味合いが強いようです。

タイの東北部にはプラサートと呼ばれる塔堂がある

遺跡がありますが、私はまだ訪れたことがありません。

 

プラーンはクメール美術をとりいれて、

アユタヤー、バンコクの時代に生み出されたトウモロコシ型

または砲弾型とも見える尖塔をもった仏塔で、

下の図の様な構造になっています。

 

下記2枚の写真と上記のプラーンはKingramaⅠの時代の

お寺であるワット・ラカンのものです。

 

 

トウモロコシ型の仏塔

 

トウモロコシ型の仏塔として

最も有名なものはワット・アルンの

プラーンでしょうか。

 

朝、夕方、夜と違った美しい表情を見せてくれます。

 

バンコクのワット・ラーチャブラナラートにも

美しいプラーンがあります。

 

その他のトウモロコシ型の仏塔を

集めてみました。

 

個人的に好きなのは、

ワット・アプソンサワンの

プラーンです。

 

 

砲弾型の仏塔

 

ロッブリーの

ワット・プラシーラッタナマハータートは

13世紀以降に建てられたとされていますが、

このプラーンはどっしりした砲丸型で

五層状であるのがはっきりわかります。

 

 

時代別に仏塔の特徴を見る

 

遺跡のプラーンがでてきた

ところで、仏塔の外見を時代別に見て

みようと思います。

 

アユタヤー時代以前

古い時代までは追っていくことができませんが、

クメール美術がカンボジアから

タイに流れ込んできたのが、12、13世紀中心で

タイではロッブリー美術(7~13世紀位)と

呼ばれるものがあります。

この時代から見ていきます。

 

ロッブリーにある

ワット・プラプラーンサームヨートは

この時代に建てられたものとされる

プラーンです。

五層状の塔堂が3つつながって

建っています。

 

サルに要注意のお寺なので、

長居はできません。

こちらの記事に書きましたが

私もサルでちょっとびっくりした一人です。

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チェーンセン美術(11~18世紀位)からは、

タイ族が主となって生み出した美術です。

タイ国北部美術で、現在のチェンマイの辺りにあった

ランナー王国に関連があり、ビルマの影響も

受けている美術ですが、その特徴はどちらかというと

仏像に見出すことができそうです。

 

同じころ栄えていたスコータイ王国の美術も

だんだん、タイ北部の美術に大きな影響を

及ぼしていくのですが、

いずれにしろその両方ともクメールの影響は

ほとんど見られません。

 

スコータイは2008年くらいに1度訪れたきりで、

写真が全くないのですが、2019年に訪れた

チェンマイのワット・ジェットヨートの仏塔を

みて見ることにします。

この時代に建てられたお寺です。

 

仏塔は、ブッダの誕生2000年を祝うために

1455年ごろにティローカ王によって建てられたという

インドのブッダガヤーのスタイルをまねた仏塔が

あります。

 

敷地内には、ティローカ王のご遺灰をおさめたとされる

仏塔もありました。

 

 

アユタヤー時代以降

アユタヤー美術(14~18世紀位)は、

スコータイやクメールの建築様式を基礎に

さらに発展させ、タイ固有の特徴を発揮させた美術です。

こちらも仏像にたくさんの特徴が見いだせるようですが、

ここでは仏塔にフォーカスすると、まず

クメール式塔堂はロッブリーのお寺の様な砲丸型の

どっしりしたものから、タイ式に変化したトウモロコシ型の

ものが主流です。

 

このプラーンは寺院の中心をなし、

前室のような入り口があるのが特徴です。

 

アユタヤーのワット・ラーチャブラナの

プラーンです。

 

中に入って行くことができます。

 

敷地内には小さなプラーンもあります。

 

次は、アユタヤーの初代王によって

建てられたものが修復されて、

外観はもう遺跡の面影のない、

美しすぎるアユタヤーの

ワット・プッタイサワンのプラーンです。

 

逆に修復されてもまた壊れてしまったという

ワット・マハータートのプラーンの跡です。

 

土台の大きさからして、

どっしりしたものが建っていたと思われます。

 

この後は、スリランカ式の丸形の仏塔が

アユタヤーでも建てられるように

なりました。

ワット・プラシーサームペットの

仏塔です。

 

この仏塔でアユタヤー時代になって

現れた特徴は、この数本の柱の立って

いる部分です。

 

その後、建てられたアユタヤーの

ワット・ヤイチャイモンコンの

仏塔も手前の仏塔は同じような特徴が

みられます。

 

アユタヤーは17世紀に再び、

クメール式の塔堂であるプラーンが流行し、

例えばワット・チャイワッタナラームなどに

建てられています。

 

それと同時に、この17世紀には

タイ独自の形の仏塔で、塔身部がほっそりし

その角がジグザグ状となった

仏塔も出現しました。

 

2009年にアユタヤーを訪れた時に

撮ったそのスタイルの仏塔の写真が

1枚だけ見つかりました。

ワット・プーカウトーンの仏塔が

このスタイルです。

 

そして、バンコク期になると、

どんどんお寺が建てられますが、

KingramaⅠの時代のお寺であり、

ワット・ラカンのプラーン(前出)、

KingramaⅡの時代に建て始め

KingramaⅢの時代に完成した

ワット・アルンのプラーン(前出)、

KingramaⅢの時代に建て始め

KingramaⅣの時代に完成した

ワット・サケートのジェディー、

KingramaⅣによって建てられた

ワット・プラパトムジェディー

大仏塔と時代は続いてきて、

現在に至っています。

 

最後にプラーンの形の結界が

あったことを思い出しました。

ワット・パトゥムコンカーの結界です。

 

今回の記事は、

書籍『タイ国美術』『王宮 エメラルド仏寺院』

『岩波仏教辞典』などを参考にして書きました。

 

お読みいただきありがとうございました。

@yayoi